たまに思うこと。
相手が間違った行動をしており、それを正してやろうとする。
もし相手が意図的に間違った行動をしているなら、どんな忠告やアドバイスも無駄。こちらの言うことは聞いてもらえない。
で、相手が「俺は正しいことをしている」と思っている場合。これが厄介。
ちょっと話はそれる。普通、人が何か行動するときは、意識的にせよ無意識にせよ、その人が選択した正しい行為を選択して行動する。つまりは、「俺は正しいことをしている」と思っている状態。
なので、ほとんどの場合、こちらから見て間違っていると思われる相手の行動は、相手は正しいと思ってやっている。
そういう前提となる。
そこで、相手に言うことを聞いてもらうにはどうすればいいかということを考えてみる。
人というものは、基本的に「他人に忠告(やアドバイス)されて、自分の行動を改める」ということが嫌いである。はず。僕は嫌いだ。
忠告された側の心理としては、
「そんなわけはない!こっちが正しい!」
「そっちが正しいかもしれないが、こっちでも問題はない!」
「そっちが正しいかもしれないが、お前の言い方が気に食わない!」
となる事が多いです。事実への指摘と人格への批判をごっちゃにされます。しょっちゅう。
それで、「忠告できないならどうすればいいの?」となります。
僕が思うに、こちらの言うことを相手に聞いてもらおうと思ったなら、「気づいてもらう」しかありません。「納得してもらう」とも言います。
自発的に、相手が正しい行動をとるようにならないと、本質的な解決にはならないのです。「正しい行動をとらされた」と「正しい行動をとった」には雲泥の差があるのです。
そんなわけで。本当に相手に正しい行為を行ってもらいたいならば、相手が自発的に正しい行動をとれるような助言をしましょう、という話でした。
ちょっとウラ話
実際のところ、社会人になって会社なんかで働く場合、人から忠告やアドバイスをうけるときは、「正しい行動をとりやがれ」みたいな、横柄なアドバイスであることがほとんどです。
相手のためとか、仕事をきちんと遂行してもらいたいがゆえの忠告ではなく、「自分は言うべきことを言いました」みたいな責任逃れや、人を注意して気持ちよくなりたいだけの自己満足といった形であることが多いです。
そこでこちらがやるべきことは、そんな責任逃れや自己満足の注意・忠告なんかを分析し、「自分が改めるべき部分」と「相手の自己満足の部分」をきちんと分類してから、前者の部分のみを自分の糧にすれば良いのです。ちなみに、相手の言う事を鵜呑みにすると、「相手の自己満足の部分」も聞き入れることになるので、自分の成長につながらない事が多いです。
そこで、仮に自分が間違った行動をしていて、責任逃れや自己満足のない忠告・注意をしてくれる人には、信用してついていってもいいんじゃないかと思います。