土曜日は娘の逆上がりの特訓をしたんだけど、結果は逆上がりとは程遠い感じ。
逆上がりの方法(と教え方)を調べとくか。来週に持ち越し。
自航惑星日記
土曜日は娘の逆上がりの特訓をしたんだけど、結果は逆上がりとは程遠い感じ。
逆上がりの方法(と教え方)を調べとくか。来週に持ち越し。
世間ではどうやら七夕のようです。
社会人になってみると、そういうイベントは全く関係無い…と思いきや、別に小学生のときから「らしい」イベントなんかしたことがなかったかもしれない。
そういえば、先日娘の授業参観に行ったときに短冊を作ってたのを思い出した。願い事は確か、てつぼうができますように…だった。
よし。週末は鉄棒の特訓だ。覚悟しときなさい>娘
願い事は、「叶ったらいいなぁ」で終わるともったいない。
願いを叶えるために、何かしらのアクションを起こすということを学んで欲しい。
ここから蛇足。思い返すに、僕が七夕の短冊とかそういうものに冷めていたのは、願い事とかそういうものは叶ったためしがなくて、「(神様?に対して)なんだウソつくなよ」というような姿勢でいたからと思う。
欲しがるだけじゃ願いは叶わないし、行動を起こさないのはなんだかクレクレ乞食みたいでみっともない。と、今は思ってる。
ちょっと話は変わって今度は迷信的な話。
こういう願い事の類は、例えば七夕の場合だと短冊のように実際に「形」としてアウトプットする。
日本には言霊という考え方があって、まぁ要約すると
声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。
これって結構大事なことだと思っていて、短冊を作るといった行動なんかは言葉を口に出すよりも願い事を単に紙に書くよりもインパクトのある行動で、そのぶん自分の深層意識に影響を及ぼしているんじゃないかと思う。
するとどういうことになるかというと、短冊をつくる前の自分より、短冊を作った後の自分の方が、強く願いを叶えたいと思うようになっている。
そんなわけでこれでモチベーションの確保はできたはずなのであとは実際に娘の鉄棒を手伝えばよい。
目標は逆上がり!
とにかくリンク先を一度読んで欲しい。
私の子供を守るのは、武器を持たないあなたの手 | 小学校卒業した子どもと再契約した。
引用はしないけど、女手ひとつで男の子を育てるのはこうも悲痛な覚悟が必要なのかと思うと、子供を一人前にして送り出すということはものすごく難しいことだと感じる。
■関連エントリ
我が子を助けるということは昔の自分を助けるということ
今回は育児ネタです。
僕は基本的に放任主義で、まぁ子供が悪いことをしたのを見かけたら注意するというスタンスです。教育パパでもありません。エリート育成みたいなのは最初から望んでいません。
とまぁ、そう言えば聞こえはいいものの、育児はいろんな意味で大変なんですよね。
というわけで、労力は最小限で、最大限の効果を上げることが重要なのかな、と。
そんなわけで、先日あった話でも。
夜、家で子供がパタパタと駆け出して自分のオモチャにつまづいたときのこと。
僕「あぶないよ?」
娘「いたいー(去ろうとする)」
僕「ここに置いてたら、また(つまづいて)痛くなるよ?」
娘「うん」
僕「じゃあ、元の場所に置いて、邪魔にならないようにしようね」
娘「はーい(オモチャを元の場所に直す)」
僕「これでつまづかなくて済むね。これがお片づけだよ?」
娘「う、うん」
僕「オモチャで遊んだら、お片づけしようね」
娘「はーい」
という感じ。
今回は片付けをする必要性を感じてくれれば良いのです。なんて甘い親。
ちなみに、一軒家なので、夜騒がないとか走らないということは今回はスルー。多分子供は一度にひとつのことしか覚えられない。
まぁひとつずつ覚えてくれればいいのです。今回は、その必要性を感じてもらうことが大事。それで、今回はそういう教育にうってつけのタイミングだったということ。
要は鉄は熱いうちに打て、ということですね。
そういうこともあって、何か悪さをしたときは、そのときに叱ってやることが大事かと。
■関連エントリ
我が子を助けるということは昔の自分を助けるということ
先日は子供への言葉を書き綴ったのだけど、その関連で話題になっているエントリを紹介。
あなぐまさんのとこも、このエントリに言及されていますね。。
で、読んでみたら本当にすごかった。
内容はリンク先を読んでもらうとして、何がどうすごいのかというと、とことんいじめっこ( ※)に対してアクションを働きかけるということ。
大体、学級会や教師の説教なんかでも、
いじめっこ=(本来説教を聞くべき人間)が、話を聞いていない
ような状況をよく見かけます。
はい、典型的な自己満足と、「ちゃんと対策してるんだ」的なアピールですね。本当に解決する気あんのか、と。
しかし、リンク先の対策は違います。
6 事実を認めた加害者に対し「泣くまで」反省を迫る。
※ ここは教師の真骨頂です。
中学生ともなると(特にいじめの加害者のような奴は)脅すだけでは、まず泣きません。
そこで、刑事ドラマのカツどんに当たる要素が必要になるそうです。
加害者ががんばってきたことの写真(部活動や体育祭・文化祭他)などを見せて、
「なのにお前は、今、何をやってるんだ」みたいな感じで迫るらしいです。
一歩間違えると大変な事になりそうですが、よく見かける「アピール」的ないじめ対策とは一線を画しますね。
この「事実を認めた加害者に対し『泣くまで』反省を迫る」というような、強烈な加害者への働きかけや、事実(罪)を認めさせるまでの各個撃破といった手法は、読んでるだけで効果的な雰囲気が漂ってきます。
ちょっと別の話。
リンク先のコメントとかに「やりすぎ」とかの声があった。
いじめがなくなるには、いじめられる人が強くなっていじめを振り払う力があればいい。無ければ、身につける。そして、いじめられっ子は強くなり、いじめは無くなった。
めでたしめでたし。
かもしれない。いじめられっ子だった人は強くなって、いじめられなくなった。でも、いじめっ子が消えたわけじゃないんだよ。
対象が居なくなっただけで、いじめっ子だった人は潜在的にいじめっ子のままで、対象を見つけると、再びいじめは発現する。
だから、例えそれが「昔いじめられてました!でも、それを乗り越えて強くなりました!」というような正の側面があったとしても、いじめっ子に対して強く働きかけるのは、大いに賛成。
それに。個人的には、いじめは無くならないといけないと思っています。他人を傷つけて楽しむ悪趣味な人間が更生して、さらに更生させる側の人間になったとしたら、世の中が良い方向に進むと思うんですけど。。
■書籍紹介 – 教室の悪魔
ついでに、いじめに関する書籍を紹介。これはかなりの良書。実践的であり、なおかつ最大限に被害者を大事にする姿勢が読み取れます。実例に対して著者の意見が述べられる、という形なので、実用性と説得力が備わっています。オススメ。
※「いじめっこ」みたいな生やさしい呼び方じゃなくて、「珍走団」みたいなダサい呼称とか、「犯罪者」・「加害者」みたいなエグい呼び方の方がいいと思います。。