七夕の願い事は

世間ではどうやら七夕のようです。

社会人になってみると、そういうイベントは全く関係無い…と思いきや、別に小学生のときから「らしい」イベントなんかしたことがなかったかもしれない。

そういえば、先日娘の授業参観に行ったときに短冊を作ってたのを思い出した。願い事は確か、てつぼうができますように…だった。

よし。週末は鉄棒の特訓だ。覚悟しときなさい>娘

教育のポイント

願い事は、「叶ったらいいなぁ」で終わるともったいない。

願いを叶えるために、何かしらのアクションを起こすということを学んで欲しい。

ここから蛇足。思い返すに、僕が七夕の短冊とかそういうものに冷めていたのは、願い事とかそういうものは叶ったためしがなくて、「(神様?に対して)なんだウソつくなよ」というような姿勢でいたからと思う。

欲しがるだけじゃ願いは叶わないし、行動を起こさないのはなんだかクレクレ乞食みたいでみっともない。と、今は思ってる。

ちょっと話は変わって今度は迷信的な話。

こういう願い事の類は、例えば七夕の場合だと短冊のように実際に「形」としてアウトプットする。

日本には言霊という考え方があって、まぁ要約すると

声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。

これって結構大事なことだと思っていて、短冊を作るといった行動なんかは言葉を口に出すよりも願い事を単に紙に書くよりもインパクトのある行動で、そのぶん自分の深層意識に影響を及ぼしているんじゃないかと思う。

するとどういうことになるかというと、短冊をつくる前の自分より、短冊を作った後の自分の方が、強く願いを叶えたいと思うようになっている。

そんなわけでこれでモチベーションの確保はできたはずなのであとは実際に娘の鉄棒を手伝えばよい。

目標は逆上がり!

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